なりらいふ

東京・福岡・北九州のWeb屋ナリシゲのブログ

2007年、ソフト・オン・デマンドを退職しました【改訂版】

【ナリシゲのプロフィール】

福岡県北九州市出身。東京都在住。目標の2拠点生活に向け月1回程度帰省中。
フリーランスのWebプランナー(企画・運営支援・サイト改善)

TechRepublic(朝日インタラクティブ)でGoogle Analytics解説記事連載中

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ヘルプマーク推進サイト・ヘルプマーク.info運営
フリー写真素材サイト・ぱくたそで フリー素材モデルとして活動中

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2007年、5年半勤務したソフト・オン・デマンド株式会社を退職いたしました。

■目次
1.担当業務
2.入社のきっかけと入社後の出来事
3.SODで驚いたことベスト3
4.SODで好きな女優・好きな作品
5.SODの知名度が上がって変わったこと
6.SODでの思い出べスト3
7.SODで嫌だったことベスト3
8.退職の時期と理由
9.退職後の過ごし方
10.おわりに

 

担当業務

Web制作スタッフ→Webディレクター→Webプロデューサー→執行役員

ECサイトのリニューアルや映像配信サイトの立ち上げ等を担当。

その他、CS放送や他社が運営する動画サイトで配信する作品の編成なども行う。

一時期、SOD女子格闘技道場の運営を担当したことも。

入社のきっかけと入社後の出来事

入社のきっかけ

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2001年の終わりごろ、求人雑誌に掲載されていたソフト・オン・デマンド(以下SOD)の求人情報を見て応募しました。

AVよりエロ本派で、SODのことなどほとんど知らなかった(しかし何故か菅原ちえ監督は知っていた)私がSODの中途採用に応募したきっかけは、「映像作品に関わりたかったから」。

前職でテレビ番組やプロモーションビデオの制作に関わったことで、映像を仕事にしたいと思い始めたのです。

正直、アダルト業界に良いイメージを持っていませんでしたが、仕事をしないと生活できないのでとりあえず応募してみました。

当時のSODは、高橋がなり社長(以降高橋さん)が深夜番組「マネーの虎」に出演を始めた時期で、徐々に一般層の知名度が上昇していたところです。

書類選考はあっさり通過しましたが、映像制作の経験が2年程度の31歳男性が入社できるほどSODは甘くありませんでした。

面接官がポツリと、「年齢と経歴的に入社は難しいですね…」と。

「でも、Web制作の経験があるならWebの部署でどう?」と言われ、直後に面接官が交代し、この日2度目の面接がスタート。

2002年1月、入社予定者が辞退したということで繰り上がりで入社決定。幸運が重なりSODの一員となりました。

入社後しばらくはホームページ制作とネット通販業務に精を出していました。

3ヶ月間は社内ルールにより30分早く出社して社内清掃をしていました。主に掃除機を担当。

入社後すぐの主な出来事

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(出典:askii.jp

2002年2月、レース界の名門「NOVA」と組み、「ソフト・オン・デマンド NOVA」としてフォーミュラ・ニッポンへ参戦することを発表。

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華々しく記者会見を行うも、同日に大魔神・佐々木主浩の「TEAM22」のフォーミュラ・ニッポン参戦発表があり、翌日のスポーツ紙は「TEAM22」一色に。

フォーミュラ・ニッポン開幕後、しばらくの間フジテレビの中継でグリッド紹介のときですらチーム名を呼ばれない扱いが続く。

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(出典:Wikipedia

同年3月、「プロレスリングZERO-ONE」1周年記念両国国技館大会を強力にスポンサード。

マットに大きくSODのロゴが入っておりプロレスファンの俺氏涙目。

当日の試合結果はこちら

この日の第7試合で小笠原和彦がプロレスデビュー。

同年4月、「マネーの虎」ゴールデンタイムに進出。

ゴールデンタイムでの初放送が終了した午後9時ごろ、会社の電話が鳴り響く。

「AV会社の社長がこんな時間にテレビに出るとはけしからん!」まだそんな時代。

SODが一般層へ知られるようになり始めた、そんな時期でした。

自分が所属している会社の知名度が日に日に上昇していくを目の当たりにしてわくわくしていたものです。

 

SODで驚いたことベスト3

社内にAVがたくさんあることにも驚いたのですが(当然)、その他にも驚いたことはたくさんありました。そのベスト3を紹介します。

1位:SODの厳格な社内ルールに驚いた

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当時のSODには以下のようなルールがありました。アダルト系の会社なので、厳しいルールを設けていたとのことです。

①セクハラNG

②社内不倫禁止

③女優さんへの手出しNG

入社時にこの話を聞いて、いくらなんでもこんなことするヤツはいないだろうと思いました。特に③はいろんな意味でありえないかと。

でも実際に起こったんです。

①私の入社数ヶ月後に、ある男性社員から女子社員へのセクハラが発覚。その後、社内でセクハラ社員の姿を見ることはありませんでした。

②妻帯者の男性と独身女子社員の不倫が発覚。その後、社内で二人の姿を見ることはありませんでした。

③ある女優さんに手を出した社員、女優さんの事務所に連れて行かれたそうです。その後社内で彼の姿を見ることはありませんでした。

あと、女子社員はローライズのパンツでの出社が禁止ってのもありました。AV会社の女子社員が「そういう服装をしていると作品に出演しているように勘違いされるから」だそうです。あれれれれ?

2位:大量のアンケートハガキを全て読む社長に驚いた

当時の作品(VHS、DVD)には全てアンケートハガキが封入されており、熱心なユーザーがびっしりとアンケートを埋めて返送してくれていました。

高橋さん、会社に届く毎日何束ものアンケートハガキに一枚残らず目を通すんです。それも、ただ読むだけではなく面白いものには印をつけていんですよね。印をつけたあとはどうなるのか分かりませんが、おそらく作品作りの参考にしたのでしょう。

お金を払って作品を見てくれたユーザーが送ってくれる感想や妄想、企画案に宝が埋もれていることもあるんです。ユーザーが見たいものを作る。まさに「ソフト・オン・デマンド」ですね。

高橋さんが言う「ユーザー第一主義」ってこういうことなのかと勝手に解釈してました。

3位:プロレスのリングを所有していたことに驚いた

プロレス団体ですら自前のリングを持っていないところがあるというのに、なんとこのAV会社はリングを持ってました。撮影でも使いますし、AD(アシスタント・ディレクター)は全員リングを組むことができたという話。

当時休業中だったある女子プロレスラーもこのリングを使ってたまに練習してましたが、やはり「赤いベルト」を巻いたことのある選手はオーラが違いますね。

次点:ユーザーからの電話に驚いた

「無言電話」なんて可愛いほうです。電話がつながったらハアハア言い始める人。女性の社員に作品名を何度も繰り返し言わせる人、「(作品に出ていた)○○部の××さんお願いします」と言う人、いろんな電話がありましたね。それらにひとつひとつ対応していた40代~50代の女性社員の方、お疲れ様でした。

次点:制作部の厳しさに驚いた

新卒で入社し、制作部に配属されるとAD(アシスタント・ディレクター)からスタートなのですが、これが「大変」という言葉を簡単に使えないほどの厳しさだったように見えました。大げさに言うと、24時間常にADの誰かが社内にいる感じです。制作現場での働きぶりはあまり見たことがありませんが、まあ想像できます。緊張感満載の現場で、少しのミスも許されないわけですから、そりゃ心身ともにタフになるでしょう。

数年経つと、他部署に配属された同期とは差がついているんですよね。社内イベントの仕切りも上手くなっているし、気配りもできます。

あのときSODで鍛えられたADたちは、各所で活躍しているんじゃないですかね。そのくらい良い経験だったのではないでしょうか。

元々私は作品の制作を希望して中途採用に応募したのですが、あのADたちのように働くのは無理だったでしょうね。3日持たなかったと思います。

SODで好きな女優・好きな作品

好きな女優

AVよりエロ本派だった私も、入社してAVに囲まれながらの仕事となったことであっさりAV派に転向(せざるを得ない)。

どちらかというと企画モノがお気に入りで、女優には全く興味がありませんでした。

唯一好きだったのがこの女優。

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(出典:askii.jp

その女優は、杏野るり。(写真真ん中)

SOD専属女優として2002年4月「日本的美少女 杏野るり」でデビュー。SODレーシングギャルズの一員としても活躍。河崎実監督「恋身女子戦隊パティーズ」にも出演(パティーピンク)。

彼女を初めて生で見たのは、「ソフト・オン・デマンド NOVA」フォーミュラ・ニッポン参戦記者会見のときだったと思います。レースクイーンの衣装を身につけた、ひときわ小さな女性が杏野るりでした。

当時小柄な女性が好きだった私は彼女に惹かれました。

作品の制作に関わらない私がそれ以降彼女を見ることはほとんど無かったのですが、一度だけご一緒したことがあります。

2002年5月の「プロレスリングZERO-ONE」後楽園ホール大会で、第一試合の富豪2夢路・黒毛和牛太組の入場を彼女がエスコートしたことがあったのですが、そのときに関係者の一員として私も同行してました。元々、入場のエスコートだけでリングに上がる予定のなかった彼女がリングに上がったときには、後で橋本(真也)さんに怒られることを覚悟したのですが、聞いた話によると、どうも橋本さんがリングに上がるよう言ったとのこと。破壊王、懐広すぎや…

好きな作品

・初めてのDeepkiss

私が入社前に知っていた唯一の監督「菅原ちえ」監督の当時の看板シリーズです。

初めて見たときは度肝を抜かれました。私が知ってるAVとは違う!とにかくエロい!

菅原監督はクリエイターとしては間違いなく一流だと思います。「ウブちん」も好き。

人柄も好きでした。個人的に。

あと、菅原さんが服を買いに行って店員さんに「棚のここからここ(の服)、全部ください」と言ったエピソードが好きです。誇張されてるんでしょうけど。

・はじめ企画の「おっぱいコピー」シリーズ(の初期のほう)

当時SODグループだったはじめ企画の、女性のおっぱいをカラーコピー機でコピーするという作品。はっきり言ってバカバカしいです。(褒め言葉)

特にゴッドハンドゲームが大好き。

はじめ監督がSODに遊びに来ていたときによくふたりで馬鹿話をしていましたものです。

はじめ企画のロゴに入っている虎は、はじめ監督が幼少のときに虎のぬいぐるみを大事にしていたことに由来。

SODの知名度が上がって変わったこと

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2003年あたりからでしょうか。会社の知名度も上がってきて、それまでほとんどいなかったいわゆる「一流大学」と呼ばれる大学の出身者が新卒で入社してくるようになりました。

志望動機も「AVを作りたい」以外に「面白そうな会社なので」「面白いことがやりたくて」といったものが増えてきました。

カーレースへの参戦、プロレスへのスポンサード、映画製作や社長のテレビ出演、そしてメディアで多く取り上げられるようになったことで、SODが「面白そう」に見えたのでしょうが、あくまで本業はAVですから、それを理解していないと長続きしませんよね。

何年か経って残っていたのは、「AVを作りたい」といって入社してきた社員のほうが多かったような気がします。

ちなみに、新卒入社の社員は入社時に親の承諾書が必要でした。

また、非制作部門の中途採用でも、それまでではありえないようなハイスペックな人材が集まるようになりました。

やはり「面白そうな会社なので」「面白いことがやりたくて」と、元一流企業、元銀行員…誰もが知っている会社にいた人が数多く転職してきましたが、実際に仕事をやらせてみると、頭でっかちで自分では体も手も動かせない、そしてExcelをこねくり回してものを言う、そんな人が結構いた気がします。

知名度の無いころに入社してきた社員と、知名度が上がってから入社してきた社員とでは、後者のほうが能力的には高かったのですが、会社に対する思いは前者のほうが上だったように思います。

会社の規模が大きくなるにつれ、前者の割合が減っていきさまざまな「悪しき慣習」は減っていったのですが、同時に「古きよき時代のSOD」も無くなっていきました。会社の成長にはこういうことはつきものなのだとは思いますが、すこし寂しかったですね。

 

SODでの思い出べスト3

おかげさまでいろいろな経験をさせていただきました。

1位:パンクラスの記者会見に出た

当時、SODが所有していた「SOD女子格闘技道場」の運営を、本業(Webプロデューサー)と兼任で担当しておりました。

私が担当になったときにパンクラスへ挨拶に行って以来交流が始まり、パンクラスで最初に女子の試合を組むときに声をかけていただきました。

2004年11月に行われた記者会見の模様はこちら

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(出典:GBR

一番右が私。記者会見に出ると事前に分かってれば、もう少し綺麗な格好をしていったのにと後悔したものです。

2004年12月に行われた試合は渡邊久江選手(左)の勝利。
SOD女子格闘技道場の渡邊浩財子選手は負けてしまいましたが、強敵相手に2ラウンドまで戦えたことは立派です。

個人的にはこの試合を点ではなく線にすることができなかったのが心残りです。

2位:東スポに顔と名前入りで載った

Webプロデューサーということで、(広報を通した)取材依頼もそこそこあった中、唯一顔出しで載ったのが東京スポーツ。「東スポの取材」と聞いた瞬間に二つ返事でOKしました。私が掲載された東スポは宝物です。東スポは、プロレスと野球と競馬と競艇だけはガチ。

3位:井口昇監督にう○この解説をしてもらった

「ヌイグルマーZ」や「監獄学園」でおなじみの井口昇監督、SODでも作品をリリースしています。

ある休みの日に井口監督含め数名で女子プロレスを見に行ったことがありました。
会場に行く途中、井口監督と私とふたりでエレベーターに乗ったところ、何と床一面にう○こがまき散らかされてました。

スカ○ロ系作品を多く撮っている井口監督、さすがです。
驚いて鼻をつまんでいる私に対し、冷静に、そして的確にそのう○こについて解説をしてくれました。

井口監督から1対1でう○この解説をしてもらうなんて、滅多にない経験ですよね。

次点:父の葬儀で大きなスタンド花をいただく

父の葬儀のとき、SODより大きなスタンド花が届きました。

祭壇の左右に置かれた「ソフト・オン・デマンド株式会社」と書かれた大きなスタンド花を見て、葬儀に来てくれた人は何を思ったでしょうか。

SODで嫌だったことベスト3

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SOD在職中は楽しいことばかりだったわけではなく、嫌なこともありました。

1位:病気になる

退職の原因です。詳細は後ほど。

2位:「アダルト業界の人とは結婚できない」と当時の彼女に言われる

当時付き合ってた彼女がいまして、お互いの年齢的にも結婚を意識していました。
彼女に結婚の意思があることを伝えたところ、「アダルト業界の人とは結婚できない」と言われました。
彼女曰く「職業差別をするつもりはないけど、やはりこういう業界は嫌だ」とのこと。
結婚のために転職することも考えたのですが、最終的には彼女との別れを選択しました。

3位:社名を言った途端鼻で笑われる

在職中、グロービスに通ってた時期があったんですが、初回の授業の後での懇親会で社名を出したら鼻で笑われたということがありました。

「何でお前らみたいな業界のヤツがこんなところにいるの?」ってことなんでしょうね。ちょっと悔しかったです。

次点:朝礼での「負け犬からの脱却十ヶ条」唱和

「負け犬からの脱却十ヶ条」とはこれです。

==========

一、自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。

一、自分の予測する、自分の限界という壁を越える経験をしろ。

一、自分を正当化して「出来ない」というな。
(経済的、時間的、人的等の要因を「出来ない」理由にするな)

一、金よりも大切な目的を持て。
(金は手段であって、目的ではないはずだ)

一、常識を身につけ、常識を疑え。
(常識は思考能力のない人の道具である場合が多い)

一、信念を持て、そして信念に照らし合わせて行動しろ。
(信念がないと目先の利益に捕らわれてしまう)

一、ずるい技法を学べ、しかし利用するな。
(技法を知っていればだまされずにすむことが多い)

一、行動に迷ったときは、自分にとって苦しいと予測するほうを選択しろ。

一、カッコ良く生きろ。

(但し、土下座することやボロを着ることもカッコ良い場合がある)

一、親を大切にしろ
(親とは今の自分が存在する要因となった人のことをいう)

==========

一時期、これを朝礼で全て唱和していました。

言葉自体は嫌いではないのですが、これを毎朝全社員で唱和するのは、少し宗教っぽいなと思いまして。

実際に「がなり教」と揶揄されるようなこともありましたし。

退職の時期と理由

入社して5年半後の2007年夏、私は「うつ病」のためソフト・オン・デマンドを退職することになりました。

病気の原因は「社外取締役との衝突」です。

退職する前年まで、事業責任者を務めていた上司の下で部署のNo.2として働いていました。
この上司、能力が高く声も大きい(比喩)ことで社内でも中心的役割を担っていましたが、突然退職。私がその後釜に座ることとなりました。

責任者が私に交代した途端、この(元)上司に対して言いたいことを言えなかった人たちが、あれこれと文句を言ってくるようになりました。

特にひどかったのが、当時の社外取締役。幹部会議のたびに私と彼は衝突していました。彼が私の訴えに耳を傾けることはほとんど無し。

そのうちに私のメンタルは悪化していき、とうとう休職、そして退職することとなりました。

退職後の過ごし方

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退職後は傷病手当金をもらいながら、心身の回復に努めました。

「激務」とはいかないまでも仕事中心の生活を送ってましたので、まずは心と体をゆっくり休めることにしました。

「やりたいことだけやる」生活といい医者に当たったことが功を奏したのか、比較的スムースに回復したように思います。

 

おわりに

「もしあのときSODを辞めなかったら」と思うときがたまにあります。

社長になることはないでしょうが、取締役くらいにはなっていたかもしれません。
そうすると、さらに精神的に厳しくなっていたことが容易に想像できます。

「うつ病」と診断されてまで、同じ会社で働き続ける必要などどこにもありません。
辞めるという決断は間違ってなかったでしょうし、タイミングもベストであったと思います。

後悔はありません。

がなり説法

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高橋がなり 強く生きる言葉

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